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世界旅行記

世界20カ国以上を旅し、イタリア在住15年の著者が、個人で回った世界中の場所についてと、旅に役立つ情報を公開します。

ドバイの歴史と社会。ラクダと砂漠の民からランボルギーニと摩天楼へ。その2

ドバイ発展のきっかけ 

そんな小規模の要所だったドバイが発展するのが、1887年。当時近辺で最も大きく賑わっていたイラン側のリンガ港にイラン(ペルシャ)政府が介入したのです。

リンガ港は、先にイギリスによって討伐された海賊カシミ族が支配していましたが、ペルシャがリンガ港を独り占めしようと、カシミ族を強制排除したのです。

それにより、人の流れがリンガ港からドバイへと移動したのです。

これをチャンスと見たドバイの主張は、リンガからの移民を手厚く優遇し、それによりドバイの人口は1930年には1万8千人にふくらみ、貿易面の地域リーダーとしての役割をはたすこととなったのです。

これが今日の移民を手厚く受け入れて発展の動力とするドバイ・スピリットの原点なのです。

このようにして、ドバイは東西の中継基地として、また真珠の一大産地として繁栄することになります。

 

真珠産業の没落

一転、そんな彼らを襲ったのが、1960年の日本による真珠養殖成功のニュース。

日本の養殖真珠に押され、ドバイの真珠価格は暴落し、ドバイの主要産業は一転、地に落ちます。そして彼らは運命を天に任せることとなるのです。

 

そんな中、神の思し召しか、アブダビに石油田が1962年にみつかり、その後ドバイにも1966年、石油田が見つかります。

ドバイでは1973年までに3箇所油田がみつかり、埋蔵量はそこから50年と見積もられています。

すなわち、あと6年で枯渇する計算です。

石油の埋蔵量が多くないドバイでは、その油田が見つかった当初から、ドバイの将来は貿易立国にあると見て準備がはじめられたのです。

 

今日明日の生活もわからない砂漠の民が真珠を見つけたことにより海岸に定住し、そして真珠が失われ、また砂漠の生活に逆戻りか、と思われたのに、石油が見つかった。そしてその埋蔵量はたったの50年。

ドバイの首長は、石油が見つかった当初から、石油がなくなったあとのことを見越してまちづくりを始めたのです。

それが今日のドバイ。

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こちらが、19世紀のドバイの市街中心部。

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オイルマネーがある50年のうちに、次の将来を見越した投資をする、それがドバイ発展の理由です。

現在のドバイの最大の歳入は第一は石油、第二位はアルミ精製です。アルミはオーストラリアから鉱石を輸入し、精製して日本へ輸出しています。

また観光業も盛んでGDPの3割が観光業によるものと言われています。

ドバイで「世界一」が多いのも、パーム・ジュメイラを始めとする奇抜で話題性を奪う建造物が多いのも、観光業での発展を見越しての選択です。

つづく

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